水戸地方裁判所 昭和51年(行ウ)3号 判決 1980年11月20日
原告 細野雄一
右訴訟代理人弁護士 伊藤まゆ
右同 仙谷由人
右同 石田省三郎
右同 遠藤直哉
被告 鹿島町
右代表者町長 富上泰輔
<ほか一名>
右被告ら訴訟代理人弁護士 菅谷哲治
右同 山本剛嗣
主文
一 被告鹿島町長が原告に対し、昭和五一年三月二七日付でなした鹿島町職員不採用決定処分を取消す。
二 被告鹿島町は、原告に対し、金一〇〇万円とこれに対する昭和五一年四月一日から支払ずみまで、年五分の割合による金員とを支払え。
三 原告の、その余の請求のうち、主位的請求をいずれも棄却し、予備的請求のうち、「原告を鹿島町職員として採用すべき義務を確認する。」旨の訴を却下し、「賃金等の請求」を棄却する。
四 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告(請求の趣旨)
1 主位的請求
(一) 被告鹿島町長(以下「被告町長」という。)が原告に対し、昭和五一年三月二七日付でなした「鹿島町職員としての採用を取消す。」旨の処分を取消す。
(二) 原告と被告鹿島町との間で、原告が同被告の職員の地位を有することを確認する。
2 予備的請求
(一) 主文第一項と同旨。
(二) 被告町長は、原告を昭和五一年四月一日付で鹿島町職員として採用すべき義務があることを確認する。
(三) 主文第二項と同旨。
(四) 被告鹿島町は原告に対し、昭和五一年四月一日以降本判決確定に至るまで、毎月二一日限り、月額金九万二、二〇〇円の割合による金員を支払え。
(五) 右第(三)、(四)項につき仮執行宣言。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 被告ら
1 本案前の申立(被告町長)
(一) 右主位的請求の趣旨第(一)項の、予備的請求の趣旨第(二)項の各訴えを却下する。
(二) 右に関する訴訟費用は原告の負担とする。
2 本案に対する申立(被告ら)
(一) 原告の請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告(請求原因)
1 主位的請求
(一) (採用処分の存在)
(1) 被告町長は、受付期間を昭和五〇年九月一六日より同年一〇月九日として昭和五一年度の鹿島町職員を募集した。
(2) 原告は、右募集に応じ、同年一〇月二六日に行われた第一次試験(筆記)を受験し、これに合格し、同年一二月二一日に行われた第二次試験(面接、身体検査等)にも受験して合格し、遅くとも同月二六日までに被告鹿島町職員として採用された。
(3) 被告鹿島町においては、第二次試験に合格すれば、そのまま、その合格者は採用内定者になるという慣行が存在していた。そして、第二次試験の合格、不合格の決定は、右試験が競争試験である以上、極めて客観的に決定されるべき性質のものであり、したがって合格決定という鹿島町内部における客観的行為で、実質上、職員の採用は何ら他の特別な判断が介入することなく決定されるべきものであるといわなければならない。
(4) 第二次試験の受験者一五名(即ち、右第一次試験に合格した原告を含む一四名と第二次試験のみ受験した大橋正彦との計一五名)のうち、原告を除いた一四名に対しては、書面による採用決定の通知が遅くとも昭和五一年一月二七日までに出されたが、原告に対してはなされなかった。
しかし、左記の事実をもってすれば、原告は第二次試験に合格し、かつ採用決定がなされたことは明らかである。
① 被告鹿島町企画室長五十里武(被告町長の有する職員採用権限の分掌を実質上担当していた者)から浜田弘(鹿島町に就職するについての事務手続を原告より受任していた者)に対し、昭和五一年一月中旬、同月下旬、同年三月一五日等に、口頭で「原告についての採用は絶対にまちがいない。」旨通知がなされた。これは被告町長による採用決定通知と評価されるべきであった。
② 被告鹿島町は、昭和五〇年一二月二六日、鹿島町職員組合(以下「町職組」という。)に対して原告採用決定の通知をした。
③ 町職組は、原告採用決定を既定の事実として、これに対する取消要求運動を継続的にかつ公然と展開した。
④ 原告は、昭和四九年三月群馬大学工学部応用化学科を卒業し公害防止管理者および危険物取扱者の資格を取得したうえ、一時民間会社で水質分析の仕事に従事した後、昭和五〇年七月より東京大学工学部都市工学科において中西準子博士の下で、水質調査分析のアルバイトに従事していた者であり、原告が被告鹿島町職員採用試験に応募したのは、前記五十里が浜田弘を通じて、中西博士に対し、公害分析技術者の斡旋を依頼し、中西博士が原告に同町への就職をすすめたからであり、鹿島町公害課は分析技術者を必要としていた。
⑤ 以前より被告鹿島町職員採用試験においては、第二次試験というものは採用することを事実上の前提とした手続にすぎず、第一次試験の合格者は全員採用されていた。
⑥ 原告の試験の成績は、被告鹿島町職員として採用されるに必要充分なものであった。
(二) (採用取消処分の存在)
被告町長は、昭和五一年三月二七日付の文書をもって、原告に対し、右採用処分を取消す旨通告してきた。
(三) (違法事由)
(1) 被告町長は、昭和五一年三月三一日、前記第一次試験不合格者の内から五名(中村明美、出頭久世、遺達厚夫、塚本真太郎、秋竹俊江)、前記第一次試験及び第二次試験を全く受験しなかった者一名(荒原啓一)の合計六名をいわゆる「選考」(面接)という形式により鹿島町職員として採用し、その内二名(塚本、荒原)を公害課に配置した。
(2) 前記のとおり、原告が応募したのは、採用後公害関係のポスト(公害課)に配属されることを予定されていたからであり、被告町長は、右塚本、荒原を採用する前に、まず、第一次試験合格者である原告を採用すべき義務があったのであり、原告が一度採用されたにもかかわらず、前記六名の採用とほぼ時期を同じくして、その採用を取消された。
(3) 右採用取消処分は、被告町長が、町職組執行部の団体交渉による不当な圧力に屈したことが唯一の原因となって、原告の労働者としての地位を一方的に奪わんとしてなされたものであり、このような全く合理的理由のない処分は、重大かつ明白な瑕疵があるものとして取消されるべきであるばかりでなく、明らかに憲法第一四条、地方公務員法第一三条(罰則規定第六〇条一号)、第一五条(罰則規定第六一条二号)に違反するものである。
(四) (結論)
よって、右採用取消処分は違法かつ無効であるので、右処分の取消及び原告が被告鹿島町職員の地位を有することの確認を求める。
2 予備的請求(一)(不採用処分取消請求)について。
(一) (不採用処分の存在)
(1) 右主位的請求原因のとおりの募集が行われた。
(2) 原告は、右募集に応じ、昭和五〇年一〇月二六日に行なわれた第一次試験に合格した。
(3) 同年一二月二一日に行なわれた第二次試験には、原告を含めた第一次試験合格者一四名、第二次試験のみ受験した者一名(国家公務員上級職試験合格者、訴外大橋正彦)の合計一五名が受験し、遅くとも昭和五一年一月二七日までに、原告を除いた右一四名の者に対して書面による採用決定の通知がなされた。しかしながら、原告に対しては同年三月二七日付書面にて不採用決定処分(以下「本件不採用処分」という。)が通知された。
(二) 原告は、主位的請求原因(一)(4)のとおり、右第二次試験に合格していたものである。然るに被告町長は前記のような町職組の圧力により違法な不採用処分をした。
(三)(1) 仮に合格していなかったとしても、被告町長には主位的請求原因(三)(1)(2)のとおり、第一次試験合格者であった原告を優先的に採用すべき義務があったのに、右義務に反する違法な本件不採用処分をした。
(2) ところで、地方公務員法においては、任用の根本基準として、職員の任用は、同法の定めるところにより、受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基づいて行なわなければならない旨を定めている(同法第一五条)。これは、いうまでもなく成績主義の原則(メリット・システム)を任用について明らかにしたものであり、職員の採用や昇任などについては、試験の成績あるいは勤務成績の評定の結果等に基づいて行なうことにより、地方公共団体の能率の確保、ひいては公益の増進を図らんとするものであり、この原則に反して、任用を行なった者は、三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金に処せられることとされているのである(同法第六一条二号)。よって、被告町長の本件行為が、右構成要件に該当することは、明白である。
(3) また、前記塚本、荒原が地方公務員法上の「選考」という形式で採用されたとしても、被告町長の行為が合法となるものではない。
すなわち、「競争試験」とは、特定の職につけるために不特定多数の者のうちから、競争によって選抜する方法であり、「選考」とは、特定個人が特定の職につく適格性を有するかどうかを確認する方法である。
そして、人事委員会を置く地方公共団体において職員の採用及び昇任は、競争試験によるものとする(同法第一七条三項)が、例外的に選考によることも許されている(同項但書)。これに対し人事委員会を置かない地方公共団体(鹿島町等の一般の市町村)においては、職員の採用または昇任は、競争試験あるいは選考のいずれの方法によってもさしつかえないものとされている(同法第一七条四項)。
そこで、小規模な地方自治体においては競争試験によっては優秀な人材を集めることが不可能なことも多いので、選考という便宜的方法により、人材確保の道が開かれているのである。しかしながら、選考という形式を利用すれば、いかなる恣意的方法も許されるというものではない。競争試験といい、選考といっても、いずれも職員として職務を遂行する能力を有することを実証することを目的とするものであり、一方が厳格で、他方がそうでないというものではなく、方法の相違があるにすぎず、前記任用の基準は遵守されなければならない。それ故、前記六名の者を選考という名のもとに恣意的に採用することが許されるわけではないのである。まして、本件の如く、公開の競争試験を実施したところ、多数の者が応募し受験しているのであるから、この中から、前記任用基準を遵守して、職員を採用すべき義務があり、本件競争試験を全く形骸化するが如き選考などは決して許されるものではないのである。
それ故、本件の如く、第一次試験不合格者及び無試験者を選考によって採用し、第一次試験合格者たる原告を不採用にするなどという恣意的、差別的な任用行為は明らかに著しく不合理な違法無効な処分であり、重大かつ明白な瑕疵ある行為といわなければならない。
(4) 以上により、被告町長がなした行為の違法性が極めて強いことが明らかとなった。もし仮に、被告町長の行為が正当化されることがあるとすれば、それは原告の第二次試験の成績と訴外塚本、同荒原との経歴、人物性行と比較して、原告の精神、身体、前科前歴に鹿島町職員となるにふさわしくない致命的欠陥があることが判明していたときだけである。しかしながら、そのような原因が全くないことは明らかである。なぜなら、原告に対する本件不採用処分の唯一の原因は、原告採用反対運動を続けていた町職組と、労働組合の管理支配を目論んでいた被告町長訴外五十里との間での取引であったことは客観的に明らかだからである。
(四) よって、原告は、被告町長に対し、本件不採用処分の取消を求める。
3 予備的請求(二)(採用義務確認請求)について。
(一) 被告町長は、前述したとおり、本件不採用処分をなした。
(二) 右処分は、前述した理由により無効である。
(三) (要件)
(1) 本件において、本件不採用処分取消請求が認容されるならば、被告町長はもはや別の理由をもって再び不採用処分をする余地は全く残されていない。なぜならば、本件不採用処分が違法なものか否かを審理することは、すなわち原告が鹿島町職員として採用されるべき適格を有しているか否かをも同時に判断せざるをえないからである。それ故、本件においては、先行処分の取消判決の違法とした理由以外の理由をもって再び同一の拒否処分をなす余地がなく、申請に応じた処分をなすべき行政庁の作為義務の存在が一義的に明白であり、かつ、事前の司法審査によらなければ、当事者の権利救済が得られず、回復しがたい損害を及ぼすというような緊急の必要性があると認められる場合に該当するというべきであり、義務づけ訴訟が許されるべきである(大阪高裁昭五〇年一一月一〇日判決、堀木訴訟控訴審判決)。特に、行政庁に裁量判断の余地が残されているか否かについては、各種の年金裁定処分に関する義務づけ訴訟においては、行政庁が裁定すべき金額の幅について裁量の余地が残されているとしている。しかしながら、本件においては東京地裁昭三七年一一月二九日判決と同様に考えるべきであり、原告を採用するという極めて単純な判断しかなしえないのだから、被告町長にはもはや裁量判断をする余地は全く残されていないといえるのである。
(2) 次に、徳島地裁昭五〇年四月一八日判決によれば、「取消判決の拘束力により行政庁は申請に対する処分をする義務があるから、義務づけ訴訟を求める必要利益はない。」と判示している。たしかに通常はそのようにいえるかもしれない。しかし、被告町長の本件不採用処分は単に違法というだけではなく、著しく正義に反する常軌を逸した行為といわなければならず、被告町長に対しては、もはや法における常識を期待することはできない。それ故、たとえ義務づけ判決というものは強制執行力を有しないとしても、再び、違法な不条理な処分がなされる余地がいささかでも存在するような本件の如き場合においては、司法権による行政権に対する指導的作用、教育的作用を発揮すべきであり、まさに義務確認判決(いわゆる宣言的判決)が必要といわなければならないのである(大阪地裁昭三三年八月二〇日判決、東京地裁昭三七年一一月二九日判決)。
(四) (結論)
よって、昭和五一年度町職員募集を行ない、公開試験を実施し、右原告の右受験の経緯から、被告町長は、遅くとも昭和五一年四月一日以降は原告を採用すべき義務があったのである。それ故、原告は、「被告町長が昭和五一年四月一日付で原告を採用すべき義務があることを確認する。」ことを求めるものである。
4 予備的請求(三)(慰藉料請求)について。
(一) 原告は、被告町長の前記違法な採用取消処分ないし本件不採用処分により、一旦取得した被告鹿島町の職員たる地位を奪われ、或は取得することを妨げられたうえ、右処分の取消等を求めて本訴を提起、維持することを余儀なくされたことから、多大の精神的苦痛を味わった。
(二) 被告町長は、昭和五一年度町職員募集に際し、町発行の「広報かしま」誌上において、採用試験の結果は昭和五〇年一二月中に役場前に掲示し、かつ、応募者本人にも通知する旨を掲載したほか同旨を公告した。しかるに、同被告は役場前における掲示を全くしないばかりか、原告に対する採否の通知義務(昭和五〇年一二月中、遅くとも翌五一年一月中)を怠り、昭和五一年三月二七日に至って漸く不採用の通知をした(同月二九日到達)。
しかもその間、被告鹿島町企画室長五十里は、前述のとおり、昭和五一年一月から三月にかけ、「原告の採用は決まっている。通知だけが少し遅れる予定である。」と度々言明したため、原告は採用されることを信じて疑わず、そのため、当初予定していた昭和五〇年度の東京都職員採用試験に応募することをとりやめたほか、他の地方公共団体や会社等への応募も一切しなかった。
このように、被告町長が右公告ないし通知義務を怠ったため、五十里の前記言明と相まって原告は他に就職する機会を奪われ、多大の損害を蒙った。
(三) 被告町長が右公告ないし通知を怠った行為は公権力を行使する同被告が、その職務を行うについて故意又は過失により違法に原告に損害を与えたものといえ、又右五十里は被告鹿島町企画室長として職員採用について実質的な権限を有し、仮に右権限を有しなかったとしても、少なくとも被告町長が決定した職員採用人事の結果を受験者らに通知することは、同人の職務に関連した行為というべきである(もし仮に、被告らが主張するように、被告町長が原告の採用を決定していなかったとすれば、五十里が原告側に「採用は間違いない」旨再三言明した行為は、なお更不法行為を構成するといわなければならない。)。
(四) 被告町長及び五十里の前記不法行為により、原告は、前述のとおり、大学を卒業し、各種の資格と優秀な技能を身につけていながら、他に就職することもできず、本件訴訟を提起、維持しなければならなくなったものであり、その蒙った精神的損害は金一〇〇万円を下らない。
(五) よって原告は被告鹿島町に対し、国家賠償法第一条に基づき慰藉料として金一〇〇万円及びこれに対する不法行為発生の日の後である昭和五一年四月一日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
5 予備的請求(四)(賃金等請求)について。
(一) 原告の被告町長に対する採用取消処分の取消請求が認容されるならば、原告は遅くとも昭和五一年四月一日付にて被告鹿島町職員の地位を取得したことになる。
(二) 仮に、職員たる身分を取得しなくても、原告は、被告町長が、原告に対する前記通知義務を昭和五一年三月二七日まで怠ったことにより、また五十里の前記言明により、当初予定していた昭和五〇年度の東京都職員採用試験受験を中止し、被告鹿島町に採用されなかったならば応募すべき自治体、会社等への手続を行なう機会を逸することとなり、右不法行為により本件訴訟を提起せざるを得なくなり、本件訴訟が確定するまでの間、著しい不安定な身分を甘受せざるを得なくなった。したがって、原告は他の自治体、会社等に採用されていたならば、得ることのできたはずの収入(得べかりし利益)を失ったという財産的損害を蒙った。
(三) よって、原告は被告鹿島町に対し、昭和五一年四月一日から本判決確定に至るまで、毎月二一日限り月額金九万二、二〇〇円(昭和五一年度鹿島町大学卒職員の初任給料)の割合による賃金ないし賃金相当損害金の支払を求める。
二 被告らの答弁及び主張
A 本案前の答弁(被告町長)
(一) 主位的請求の趣旨第(一)項(採用取消処分取消請求)に対して。
被告町長が原告を職員として採用した事実はない。また、原告を採用する旨、辞令書の交付、その他公の通知(内定通知も含む)をなした事実もない。したがって、被告町長が原告の採用を取消す旨の処分をなし得べき筈もない。右「採用取消を取消す」旨の請求は、取消処分の取消を求めているものであるが、そもそも、取消が求められている処分(前提)そのものが存在しないのであるから、その取消を訴訟で求めても不適法な訴えとして却下されるべきである。
(二) 予備的請求の趣旨第(二)項(採用義務確認請求)について。
行政庁が一定の処分をすべきであるとか、してはならないなどということを求める義務づけ訴訟や、行政庁に一定の作為または不作為をなすべき義務あることの確認を求める義務確認訴訟は司法権の範囲に属しないから許されない。右義務確認訴訟は不適法として却下されるべきである。
B 本案に対する答弁、主張(被告ら)
1 主位的請求に対して。
(一)(1)の事実は認める。
(一)(2)の事実のうち、「原告が遅くとも昭和五〇年一二月二六日までに第二次試験に合格し、鹿島町職員として採用されたこと」は否認し、その余の事実は認める。
原告は、後記のような経緯で第二次試験不合格となったものであり、当然不採用である。
また、採用という任命行為は強度の裁量性を有すると共に極めて重要な意思表示であるから、いわゆる要式行為であって、辞令の交付がなければ採用の効果は一切生じないものであるが、本件においては、前述のとおり、公の通知もなく、唯、原告が「第一次試験に合格したから第二次試験も大丈夫であろう」との全くの独断で内定または採用されたものと誤信しているにすぎない。
(一)(3)の事実は否認する。
(一)(4)の事実のうち、第二次試験の受験者一五名のうち、原告を除いて一四名に対しては書面による採用決定の通知が遅くとも昭和五一年一月二七日までになされ、原告には出されなかったことは認め、原告の学歴、職歴等は不知、その余の事実は否認する。
(二)の事実は否認する。被告鹿島町長が原告に対し、昭和五一年三月二七日付の文書をもって通告したのは、採用処分を取消す旨の通告ではなく、不採用の通知である。
(三)(1)の事実は認める。
(三)(2)、(3)の各事実は否認する。
(四)の請求は争う。
(被告らの主張)
被告鹿島町における職員採用手続について。
(1) 被告鹿島町においては昭和五一年度職員の募集を、受付期間昭和五〇年九月一六日から同年一〇月九日まで、第一次試験同年一〇月二六日(統一試験)、第二次試験同年一二月二一日(町村試験)の要領で行った。
(2) 右各試験のうち、第一次試験は、一定地域の町村が連合して行なういわゆる統一試験であって、県町村会にその実施方を委託して行われたものであるが、その内容は作文を含む教養試験(公務員として必要な一般知識についての択一式による筆記試験)である。そして、右教養試験のうち作文を除く筆記試験については、受託者である県町村会において採点し、各委託町村別にその点数のみが報告され、作文については各町村において独自の評価がなされたものである。
第二次試験は、右第一次試験において一定の成績を得た者のなかから採用予定人数を勘案しながらその受験者を決定し、面接、身体検査等を行ったものである。そして、面接においては作文の評価等も考え合わせながら、主として人物についての試験を行い、結局、人物性行、教育程度、経歴、適性、知能、技能、一般的知識、専門的知識及び適応性の判定が総合的になされたものである。
(3) 右判定を基礎にして任命権者である被告町長が第二次試験合格者及び採用者を決定したものであるが、第一次試験の受験者は一〇六名(申込者一二一名)、合格者は一四名であり、第二次試験は右一四名(但し、国家公務員上級職試験甲種に合格していたため第一次試験を免除された大橋正彦を加えると一五名)について行なわれ、結局原告を除く一四名が合格し、原告は不合格となったものである。
なお、従前は第二次試験受験者数は採用予定者数をかなり上まわるのが例であったが、昭和五一年度においては、徒らに第二次試験受験者数を多くして望みをもたせるのを避けるべきであるという意見から一四名(実際には右一五名であったことは前記のとおり)にとどめたのである。
2 予備的請求(一)に対して。
(一)の事実は、全部認める。
(二)の事実は否認する。
(三)(1)の事実は否認する。
第一次試験は基本的な教養についての試験であり、第二次試験は別の観点からの職員としての適性の試験である。従って、第二次試験受験者のうちに不合格者があり、かつ欠員の存するときは、第一次試験不合格者のうちの成績の上位の者について第二次試験を行って採用することは何ら不合理なことではない。第一次試験の合格者が、第二次試験の成績の如何に拘らず、第一次試験の不合格者に比して職員としての適性においてすぐれていると考えるのは、原告の独断である。
(三)(2)のうち、被告町長の行為(本件不採用処分)が原告主張の罰則規定に触れるとする点は争う。
(三)(3)、(4)は争う。
(四)は争う。
3 予備的請求(二)に対して。
(一)の事実は認める。
(二)、(三)、(四)は争う。
4 予備的請求(三)に対して。
請求原因事実のうち、原告に対する本件不採用処分の通知を昭和五一年三月二七日付書面でなしたことは認め、原告主張の損害は不知。その余はすべて否認する。
原告主張の広報誌上の記事は、人事委員会を置く他の地方公共団体の職員募集要領を模して作成されたものにすぎず、被告鹿島町においては従来からも公告はせず、第二次試験合格者(採用内定者)に対しては、書面で試験の結果を通知するだけであった。
5 予備的請求(四)に対して。
争う。
第三証拠《省略》
理由
第一被告鹿島町長に対する採用取消処分の取消請求について。
一 (第一次合格、第二次受験)
被告町長が、受付期間を昭和五〇年九月一六日より同年一〇月九日として、昭和五一年度鹿島町職員を募集したこと、原告が、右募集に応じ、同年一〇月二六日に行われた第一次試験(筆記)を受験し、これに合格したこと、次いで同年一二月二一日実施された第二次試験(面接、身体検査等)を受験したことは当事者間に争いがない。
二 (採用行為の不存在)
ところで、原告の右採用取消処分の取消請求は、原告が、第二次試験に合格し、採用されたことを前提とするものであるから、まず、この点につき判断する。
《証拠省略》によると、以下の事実を認定することができる。
原告(昭和二七年三月六日生)は、昭和四九年三月群馬大学工学部応用化学科を卒業して表面処理関係の薬剤会社である株式会社小林に就職し、同社で化学分析の仕事をしていたが、もっとやり甲斐のある仕事をしたいと思慮のすえ、昭和五〇年七月に同社を退職し、学生時代から公害問題に関心を持っていたこともあって、東京大学の自主講座に参加し、翌八月同大学工学部都市工学科助手で鹿島研究グループを主催していた工学博士中西準子のグループに参加し、同月鹿島で行われた同グループの水質分析の仕事を手伝ったが、その際鹿島町の住民で公害反対運動に携わっている浜田弘と知りあった。右鹿島研究グループには、東京大学大学院生の訴外大橋正彦がおり、同人は、鹿島の大気汚染について研究していたが、右研究を続けるためかねてより鹿島町への就職を希望し、前記中西博士から、その旨、浜田に話があった。浜田は、昭和五〇年九月ころ懇意にしている鹿島町企画室長五十里武に大橋の就職の話をしに行ったが、その際、五十里より、「化学を基礎からやった水質分析のできる人を一人欲しい。」旨依頼されたので、その旨、中西博士に伝えた。中西博士は、原告が適当でないかと考え、原告にその旨話したところ、原告も鹿島町へ就職する気になり、群馬県にいる両親の同意を得て中西博士に対し、「鹿島町職員採用試験を受験する。」旨返事をした。中西博士は、浜田を通じて原告の受験に必要な手続をした。原告は、昭和五〇年一〇月二六日、第一次試験、(いわゆる県町村会が実施している昭和五一年度採用の町村職員採用統一試験。鹿島町分の受験者総数は一〇六名であった。)を受験し、右は教養試験と作文とであったが、教養試験だけで合否が決定され、同年一二月五日、原告は他の一三名の者と共に右試験に合格した(但し、原告が第一次試験に合格したことは当事者間に争いがない。)。浜田は五十里から適任者を探してくれるよう依頼を受けていた手前、原告の人物を知って欲しいと考え、同年一二月六日、原告と一緒に五十里宅を訪問して同人に原告を引き合わせた。次いで第二次試験(町村試験)は、同年一二月二一日に鹿島町役場において行われたが、右試験には、第一次試験合格者右一四名の他、国家公務員上級職試験に合格していた前記大橋も加わり計一五名が受験した(但し、この事実は当事者間に争いがない。)。町側の試験委員は、被告町長、助役、総務部長、総務課長及び企画室長の五名であり、第一次試験の作文と、第二次試験の口述試験との双方をそれぞれ一〇〇点満点として評価するものであった。右試験について、同月二五日合否判定会議が開かれ、原告、大橋ほか二名(兼平、内野)の計四名が採否留保となり他の一一名については、採用と決定され、直ちに各人宛その旨通知された。右留保となった四名については、再度昭和五一年一月二五日、被告町長宅で合否判定会議が開かれ、結局原告を除く三名については採用されることになり、大橋については、同月三〇日採用通知が五十里から浜田に手渡された。その際浜田は、五十里から、「原告については採用通知が少し遅れる、しかし採用は決っているから心配しないように」といわれた。浜田は、同月中頃に、五十里宅で、同人から、被告町長が書いたメモという紙切れをみせられ、原告の名前に丸印がついていたこともあり、五十里の言葉に不信をいだかなかった。その後、浜田は、昭和五一年二月及び三月にも五十里に対し、原告の採用につき、四、五回問い合わせたが、五十里は、「原告の採用は、決っている。」との返事をくり返し、採用通知が遅れている理由は、町職組からクレームがついているということを話した。また、五十里は、同年二月中旬頃には原告がし尿処理管理者の資格をとれるかどうか浜田を通し、中西博士に照会した。昭和五一年三月二九日、原告は、被告町長名義の同月二七日付不採用通知を受領した。一方、被告町長は、同月三一日に新たに六名の者の選考(面接)試験を行い、六名共同年四月一日付で鹿島町職員として採用した(但し、この事実は当事者間に争いがない。)。
おおよそ、以上の事実が認定でき(る。)《証拠判断省略》
ところで、右認定事実からすると、被告町長は、「一旦は、原告を採用してもよい。」旨の決意を固めていたものであると推認できるのであるが、地方公務員法は、任用行為の方式(形式)について規定をおかず(国家公務員法も同様)、法律上は任用権者の意思表示が相手方に到達すれば足り、必ずしも辞令の交付などの行為を要するものではないところ(この点、要式行為である旨の被告らの主張は採用できない。)、地方公務員の任用行為は、その法的性質をどのように考えるにせよ、地方公務員たる地位の設定、変更を目的とする重要な法律行為であるから、その意思表示は明確になされなければならないと解される。ところが、前記認定事実からは、被告鹿島町企画室長五十里が訴外浜田に対し「原告の採用は決っている」旨何度か口頭で述べたことが認められ、あるいは、被告町長自身一旦は、原告の採用を決意したのではないかということが推認できるにとどまり、《証拠省略》によると、企画室長五十里は、町職員採用に関し、人員の調整の面から関与するものの、直接に採用に関与する立場にはなく、鹿島町職員の採用権限を有する者は被告町長であるから、原告についての採用行為は、未だなされていないものとみるのが相当である。したがって、原告の被告町長に対する採用取消処分の取消を求める請求は前提を欠き理由がないから、その余の点につき判断するまでもなく、棄却すべきものである(なお、被告らはこの点について取消の対象となる行為がないから不適法と主張するが、取消訴訟の目的として摘示された行政行為(採用処分)は本案に関するものであるから、訴却下ではなく請求を棄却すべきものである。)。
第二被告鹿島町に対する地位確認請求について。
「原告が被告鹿島町の職員たる地位を有することの確認を求める」請求が行政事件訴訟法第四条の定める公法上の法律関係に関する訴訟に該当するものというべきところ、被告鹿島町が原告の鹿島町職員たる地位を争っていることは弁論の全趣旨に照らし明らかである以上、原告の右地位確認を求める訴の利益はこれを肯認することができる。
ところで、前記認定のとおり、原告に対する被告町長の採用処分は存在しないのであるから、原告が被告鹿島町の職員たる地位を有するというためには原告は他に原告が右地位を取得したことについて、これを根拠づける必要があるところ、他の事由については何ら主張するところがない。したがって、原告の右請求は理由がないこととして棄却すべきものである。
第三被告町長に対する本件不採用処分取消請求について。
一 (争いのない事実)
原告が被告鹿島町の昭和五一年度職員採用試験を受験し、第一次試験に合格して第二次試験を受けたこと、第二次受験者一五名のうち原告以外の一四名については遅くとも昭和五一年一月二七日までに採用通知がなされたが、原告についてのみ同年三月二七日付で不採用通知がなされたことは当事者間に争いがない。
二 (第二次試験の成績)
原告は、右第二次試験に合格したと主張し、被告はこれを争うので、先ずこの点につき検討する。
《証拠省略》を併せ考えれば、第二次試験は各試験委員が予め受験者の作文を読んだうえで面接に臨み、先ず総務課長が人定質問の後、特殊技能、得意学科、趣味、スポーツ、家族関係、志望動機、健康状態、通勤方法等を尋ね、その後各試験委員が適宜二、三の質問をする形式で進められ、原告については二、三〇分間の面接が行われたが、その間特に悪い成績をうかがわせるような場面はなく、却って「鹿島町では単身者用の住宅がないので、もしこちらに来るようになったら奥さんでも連れて来た方がいい」とか「配属は当然公害課ですね」などむしろ好意的と思える総務課長の発言もあったこと、この第二次試験委員の一人である宮本総務部長は「原告細野の面接試験の点数は思い出せないけれども、むしろ上位の方ではなかったかと思う。性質は、おとなしすぎるところがあった。」旨の証言をしていること、第二次試験終了後二回にわたって行われた合否判定会議の席上、企画室長五十里、総務部長宮本の両名は、被告町長に対し「原告を採用すべきである」との意見を述べていること、第二次試験終了後間もなく第二次試験受験者名簿(但し、摘要欄空白のもの)を入手した町職組が町当局に団体交渉を申し入れ、その席上右名簿に記載されている者(原告の氏名は一番下に記載されていた)は採用されることに間違いないかどうかを確かめたところ、被告町長らはこれを特別否定しなかったことが認められ(る。)《証拠判断省略》そして、右五十里が第二次試験終了後昭和五一年三月までの間、浜田に対し、「原告が採用されることは間違いない」旨再三言明していることは前記第一で認定したとおりである。
以上の事実に本件弁論の全趣旨を併せ考えれば、原告は第二次試験において他の一四名と少なくとも同程度の成績をとっていたことが推認できる。
三 (乙号証の不採用)
この点に関し、《証拠省略》によると、原告は、第二次試験受験者一五名のうち成績が最下位であることが認められる。しかし、右各書証は、原告が昭和五一年七月五日に申立て、同月一五日に水戸地方裁判所が「書類の送付嘱託をし、かつ、同年八月五日午後一時当庁において、その検証を行う。」旨の決定をした証拠保全の目的となった文書であるところ、被告らは、右証拠保全の段階において右各文書を提出せず、昭和五二年五月一九日(第五回口頭弁論期日)に乙第一〇号証(第二次試験受験者成績名簿謄本)を、同年六月一六日(第六回口頭弁論期日)に乙第一一号証の一ないし四(採点表)を、昭和五五年三月二五日(第一五回口頭弁論期日)に至って右乙第一三号証の一ないし一五(採点者宮本作成の口述試験採点表)を提出したこと、一方これらの文書につき原告が昭和五一年一一月四日に文書提出命令の申立をしたことはいずれも当裁判所に顕著な事実であり右提出の経緯に不自然な点があること、乙第一〇号証の作成年月日が昭和五一年一二月二五日と記載されていること(被告らは、右日付は作成者たる宮本が昭和五〇年一二月二五日と記載すべきところを昭和五一年一二月二五日と誤記したものというが、そもそも公文書の作成にあたる公務員が、日付ならとも角、作成の年度を間違えること自体不自然であるばかりでなく、経験則上昭和五一年を昭和五〇年と勘違いすることはあり得ても、その逆の思い違いをすることは至って少い。結局、右乙第一〇号証は、作成年月日として記載されている昭和五一年一二月二五日即ち本訴係属後に作成されたものと認められる。)、右乙第一〇号証の記載が全面的には信用できない以上、これと符合するように点数が記載されている乙第一一号証の一ないし四の信憑性も疑わしいこと、乙第一三号証の一ないし一五も整然と記載されていて、第二次試験の現場ないし、その直後に記入されたものとは到底認め難いことなどの点に、先に認定した原告の受験から不採用通知を受けるまでの経過を総合して判断すれば、試験の成績に関する右各乙号証の記載を、その額面どおりに信用することはできず、これらの書証をもって原告の受験成績に関する前記認定を覆すに足りるものとすることはできないというべきである。
なお、「乙第七号証(第二次試験合格者採用者名簿)は昭和五一年三月二六日に作成された書類である。」旨被告らは主張するところ、それには既に昭和五一年一月二七日までに採用通知を発送し就職が決定ずみの大橋正彦の名前が登載もれになっていることは、右書証上明らかである。このこと自体からみても、被告ら側における昭和五一年度職員採用に関して作成された書証(右乙号各証)の不正確さの証左ということができる。
のみならず、仮に右乙第一〇号証(第二次試験受験者成績名簿)の記載を信用するとしても、その総合得点の最高が一六八点であり、最低が一二五点(原告)であるところ、その直前の順位者(すなわち原告より直上位者で、かつ採用された者)が一三四点であった旨記載されているのであって、その差は僅か九点にすぎないこととなる。他方、前認定のとおり、原告のような技術者を被告鹿島町自体も必要としていた事情もあり、それなればこそ、被告町長は他からの妨害要因(後述)の解消されることを考慮して日時の経過を待ったけれども、好転せずと判断して本件不採用処分に踏切ったと推認できる。したがって、数日後の昭和五一年三月三一日に、急拠、六名(すなわち第一次試験に不合格ないし無受験者のみ。なお、《証拠省略》によれば、同年三月の段階で、町長の指揮のもとで右六名が人選され、採用する方針をたて、そのうちの一人は第一次試験に不合格になっている町長の甥も含まれている事実が認められる。)を「選考」(面接)の方法で四月一日付をもって鹿島町職員として全員採用し、しかも、その内の二名を公害課(原告が採用されたときには配属される予定の職場)に配置している実情からみても、公害課への配属要員として採用の必要性がさし迫っていた情況にあったといえるので、かかる場合に、僅かに右九点の差をもって本件不採用処分にする合理的理由が存在したことを認めるに足りる証拠はない。
四 (町職組からの反対)
ところで、《証拠省略》によると、町職組は、昭和五〇年一二月二六、七日頃、昭和五一年度の町職員採用に関し一四名の採用内定者と思われる者の住所、氏名が記載されたコピーを手に入れたこと、前項のとおりこの点につき、その頃、被告町長、助役、総務部長と団体交渉がなされたこと、右一四名の外、大橋について正規の試験をせずに採用しようとされていることが問題となったこと、昭和五一年一月八日、教育委員会に臨時職員として採用された荒原につき、町職組と町当局で話しあいがなされたこと、同年二月四日組合書記長追田修と総務部長との間で、右大橋、荒原及び一四名の内定者と思われる人々の件について話し合いがもたれたこと、同年三月一九日の町職組の臨時大会において、昭和五一年度の職員採用が問題とされ、右大会のパンフレットには、「一四名の内定者に得体の知れない群馬県の者が含まれ、その他新たに東京の者がつけ加えられた」との記載があり、右群馬の者とは原告、東京の者とは大橋を指すこと、町職組は、「職員の採用については鹿島町内居住者に限る」旨主張していたこと、同年四月一日、町職組と町当局の間で、右採用の問題について話しあいがもたれ、同日付の新たな六名の採用者、その他、原告についても話し合われたこと、その際、被告町長は、「原告は、体が弱いので自ら辞退した。」と虚偽の説明をしたこと、同年二月中旬ころ、五十里は、浜田に、「町職組や町職組と深い関係にある飯塚熊太郎が原告の採用に反対している」と話したこと、同年四月一日、宇井純(中西博士の同僚)のところへ元町職組委員長で町職組に強い影響力をもつ前記飯塚熊太郎が電話で「浜田と住民運動をめぐって対立関係にあることから、中西、浜田に連なる原告と大橋を役場に入れる訳にはいかないが、宇井が妥協するなら二人の採用を認めてもよい」と申し入れたことが、それぞれ認められる。
右認定事実を併せ考えれば、被告町長は一旦は原告を含め第二次受験者一五名全員を採用すべく考えたが、町職組の強硬な反対にあったことから最終的には原告のみ採用しないことに決定し、昭和五一年三月二七日に至り原告宛に本件不採用処分の通知をしたものと認められる。
五 (裁量の逸脱、濫用)
ところで、職員の採用(任用)に当たり任命権者に裁量権のあることは明らかであるが、これは決して恣意的な採用(或は不採用)を許すものではなく、すべからく任命権者は国民ないし地方公共団体の住民のため、受験成績その他の能力の実証に基づいて直に有能な人材を選択、採用すべき責務を負っていることはいうまでもない。いわゆる成績主義(メリットシステム)または能力主義の原則は右任用の基準を示すものであって国家公務員法第三三条、地方公務員法第一五条に規定されているところであり、法は罰則まで設けて右基準の貫徹をはかっている(国家公務員法第一一〇条第一項第七号、地方公務員法第六一条第二号)。
したがって、任命権者が職員の採用に当たり、法の要請する能力の実証に基づかず、或は他事考慮し、或は不正、不当な動機ないし目的をもって採否を決した場合等には、右行為(処分)は裁量の範囲を逸脱したか、もしくは裁量権の濫用として違法となり、取消訴訟の対象となる。
これを本件についてみるに、前認定のとおり、原告は第二次試験において採用された一四名の者と少なくとも同程度の成績を得、被告町長も一旦は原告の採用を決意したのに、町職組の強硬な反対にあい(町職組の反対の理由が、「地元出身者を優先して採用すべきである」というものであるならば、それは成績主義を定める前記地方公務員法の規定を無視し、ひいては法の下の平等の原則にも反する不当なものであることはいうまでもない)、結局、他に特段の理由もないのに原告を採用しないことに決定したものであって、本件不採用処分には裁量の範囲を逸脱したか、もしくは裁量権を濫用した違法があるものといわなければならない。
よって、その余の点につき判断するまでもなく、被告町長が原告についてなした本件不採用処分は違法であって取消を免れない。
第四被告町長に対する義務確認請求について。
「原告を昭和五一年四月一日付で鹿島町職員として採用すべき義務があることを確認せよ」との請求は、行政庁に対しある行政処分をなすべき義務の確認を求めるいわゆる公法上の義務確認訴訟であるが、かかる訴訟が認められるかについて、行政事件訴訟法第三条は、抗告訴訟類型を制限列挙しているものとは解しえず、許容されるものと解する。
しかしながら、これを無条件に認めることは、司法裁判所の消極的、限定的機能や三権分立の原則等に照らし、疑問が存する。したがって、かかる訴は、訴求する当該行政処分が法律上覊束されていて自由裁量の余地がほとんどなく、第一次的判断権を行政庁に留保する実質的な理由も認めがたく、しかも、行政庁がその処分をしないことによって、国民が現実に権利を侵害され又は、侵害される危険がさし迫まっており、他に適切な救済手段が考えられない場合でなければ許されないものと解すべきところ、これを本件についてみるに、被告町長の本件不採用処分が裁量の範囲を超えることは、前記のとおりではあるけれども、しかしながら、更に進めて任用することになるまでには、被告町長になお正当事由について裁量の余地がないとはいいえないのであるから(換言すれば、原告を採用すべきことが一義的に明白であるとまではいえないのであるから)、原告の本件義務確認の訴はその余の点について判断するまでもなく不適法として却下すべきである。
第五被告鹿島町に対する慰藉料請求について。
被告町長の原告に対する本件不採用処分が裁量の範囲を逸脱し、もしくは裁量権を濫用した違法な行為であることは前述したとおりであるが、《証拠省略》によれば、更に同被告が原告に対する採否の通知を約三ヶ月間も遅滞し、その間、被告鹿島町企画室長五十里が、原告の意を受けた浜田弘から度々採用見込の有無をただされたのに対し「採用されることは間違いない」と再三言明したこともあって、原告は採用されるものと信じ、そのため当初予定したその他に就職する機会を失ったこと、違法、不当な本件不採用処分の取消等を求めて本訴を提起、維持し現在に及んでいること、その間原告は昭和五二年三月まで研究生の形で東京大学で勉強し、その後は本件訴訟係属中のため鹿島町に近い現住所に移り住んでスーパー店員として働き不安定な身分でいること、以上の経過を通じ原告は多大な精神的苦痛を味ったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
そうすると、被告町長及びその部下たる五十里がその職務を行うについて、故意または少くとも過失により、違法に原告に損害を与えたものというべきであるから、被告鹿島町は国家賠償法第一条により、原告が蒙った精神的損害を賠償すべき義務があり、原告の年令、学歴、職歴、本件受験から不採用通知に至るまでの経緯、違法性の程度、態様、生活状態等本件に顕れた一切の事情を考慮すると、原告に対する慰藉料としては金一〇〇万円が相当と認められる。
よって、被告鹿島町は原告に対し、右金一〇〇万円及びこれに対する本件不法行為発生の日の後であること明らかな昭和五一年四月一日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。
第六被告鹿島町に対する賃金等請求について。
「昭和五一年四月一日から本判決確定まで、毎月二一日限り、月額金九万二二〇〇円の割合による金員を支払え」との請求は、第一に原告が昭和五一年四月一日付で被告鹿島町の職員たる地位を取得したことを前提とするものであるが、前説示のとおり、右前提となる事実を認めるに足りる証拠はない。従って、原告の賃金請求は失当である。
原告は、次に「職員たる身分を取得しなくても、原告が本件不採用処分の通知をもっと早く受けていれば、他の自治体、会社等へ応募できたのに右機会を失い、右他の自治体、会社等に採用されていたならば、得ることのできた収入を失った。」と主張するが、原告主張の右損害と被告町長の不法行為との間に相当因果関係があることを認めるに足りる証拠はない。
第七結論
以上の次第であるから、原告の主位的請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、予備的請求のうち、原告の被告町長に対する本件不採用処分取消請求は理由があるのでこれを認容し、その余の同被告に対する義務確認請求にかかる訴えは不適法であるので、これを却下し、被告鹿島町に対する慰藉料請求は理由があるのでこれを認容し、賃金等請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条第一項を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 龍前三郎 裁判官 大東一雄 菅原崇)